創造

 オーディンは辺りを見回した。足元のイミルの体以外、足をつける場所など存在しない。イミルの血によって生まれた海が途方も無く広がっているばかりである。

「どうする? 兄貴」

 ヴィリはオーディンの顔をのぞき込む。オーディンは何か案があるらしく、その顔には喜色が浮かんでいた。

「無いなら、創ればいい」

 オーディンの突拍子もない言葉にヴィリとヴェー、そしてアース神たちは驚きを隠せない。オーディンは足元を指さして言った。

「なに、材料ならあるじゃないか! このイミルのどでかい身体が!」

 早速、アース神たちは行動を開始した。イミルの身体――肉塊をとにかく撒き散らし、足場を創っていく。
 なかでも、赤毛の少年の働きは凄まじかった。まだ幼いにも拘らず、オーディン達がかかっても持ち上げられない巨大な塊をいとも簡単に放り投げてしまったのだ。

「凄いな。大した怪力だ」
「だろ? 力仕事はこのトールに任せろ!」

 驚嘆するオーディンの前で、トールは自慢げに小さな力こぶをつくって見せた。

 瞬く間に海は埋め立てられていき、広大な大地ができあがった。大地に囲まれた海は湖となり、そこから流れ出す水で行く筋もの川が生まれた。

「これだけじゃあ、寂しいよなぁ……」

 呟いたのはヴィリ。大地ができたとはいえ、ただ水が流れているだけで、平坦で起伏も無い。これだけでは確かに物足りなかった。ヴェーは肉をはがされて、所々むき出しになった白骨を指差す。

「あの骨を土台にして、地面を盛り上げたらどうかな?」
「なるほど、それはいい!」

 ヴェーの提案によって、骨が組み上げられその上に大地となった肉を乗せ、山と丘ができた。砕けてしまって土台に使えない骨はばら撒かれ、岩や石に変化していった。

「まだ寂しいな。何か飾りのようなものがあれば……」

 オーディン達は考えた末、大地の飾りとしてイミルの太い髪を使うことにした。丁寧に束ねて大地にさしていくと、それらは幾筋にも分かれ太く根をはり、木が生えた。
 緑の木々に彩られた大地を見て、彼らは満足そうに頷いた。

 次いで、神々は頭上を見上げる。そこはただただ、暗黒が果てしなく続くばかり。

「足元があるんだから、上のほうも創らないとな」

 オーディン達は、残っていたイミルの頭蓋骨を使うことにした。あまりに大きすぎて、それまでのものを創るのに使えなかったのだ。頭蓋骨を持ち上げ、彼らは天を創った。
 それだけでは、まだ足りない。灯りが無ければ植物に覆われた大地もおぼろげにしか見えない。何か、地上を照らすものはないだろうか。

「あれは何だ?」

 アース神族の一人が指さす方角からは、明々とした何かが飛来してきていた。それはムスペルヘイムの炎だったのだが、そうであることをオーディン達は知る由もない。
 オーディン達は火の粉を天に撒き散らす。そうして、星ができた。しかし、地上を照らすには明るさがまだ足りなかった。まだまだ大きな源となる何かが必要だ。

「どうすればいいだろうか……」

 ちょうどその時、ひときわ大きな火の粉が飛んできた。オーディンはそれを捕らえ、

「これを天に上げて、光源にすればいい」

 しかし問題があった。大きすぎて、天に上げても落ちてきてしまうのは明白だったからだ。どうにかして固定できたとしても、そうすると逆に明るすぎる。何とかしてこれを動くようにする必要があった。

「あれ、何か……動いてるよ?」

 ヴェーが大地創りの際に余ったイミルの肉を指差す。そこから無数の何かが飛び出してきた。黒く小さく、そして何よりも醜い外見をした生物だ。彼ら――デックアールヴたちは天の灯りを見上げると悲鳴をあげ、どこかへと走って行ってしまった。

「イミルの肉が腐っているのか……」

 どうやらデックアールヴは、イミルの身体の腐った部分に生じた蛆から生まれたようだ。
 唐突な新たな生命の誕生を見送った彼らの耳に、聞きなれない音が聞こえてきた。大地に何か硬いものがあたる音だ。

「あ、アウズフムラ!」

 オーディン達が見た先には、アウズフムラが横たわっていた。おそらく陸地を創った後に流れ着いたのだろう、既に息絶えている。
 アウズフムラの肉もやはり腐っており、そこから全く見たこともないような生き物が生まれていた。彼らは後に馬、牛、羊――他にも様々な名で呼ばれるようになる者たちだ。その中に僅かな数ではあるが、宙を駆け回っている馬がいた。

「そうだ!」

 四苦八苦して、オーディン達はその天馬をようやく四頭捕らえた。

「こいつらに運ばせよう。この大きな火――『太陽』と、もうひとつ『月』を!」

 太陽ほど大きな炎が飛んできたのは一度きりだったので、月は小さな火の粉を寄せ集めて創られた淡い光だった。これらを天を駆ける天馬たちに運ばせたらいい。オーディンはそう考えたのだが、しかし残念なことに天馬は彼らの言うことを全く聞かない。無理矢理繋ぐことができたとしても、天馬たちは勝手に走り回って混乱が生じるだけだろう。
 色々と思案しているところに、神の中から二人の男女が名乗り出た。

「あの……私たちでよければ、この馬たちに決まった軌道を走らせることができます。兄のマーニと二人でアウズフムラの世話をしていたので」

 こうして太陽はソール、月はマーニによって運ばれるようになった。彼らの手綱裁きは見事なもので、馬達も大人しく従っている。

「まだ太陽だけでは足りないようだな……」

 太陽の光は眩いばかりに周囲を照らしている。しかし、光が届くのはその周囲のみ。月も同じく、これでは終日薄暗いままだ。
 オーディン達は考えた末にまた二人の神ダグノートを選び、そして輝くばかりに白い馬スキンファクシと淡く輝く黒馬フリムファクシをそれぞれに与え、天を走らせることにした。大地をくまなく照らす光に、アース神は満足した。

「何か変化をつけなければ、輝く天も味気がない」

 そう言い、彼らは天に脳を撒く。イミルの脳は空で広がり、雲となった。アース神たちはひとまず安堵し、天を巡る太陽達をしばらく見上げていた。

 天を見ていたオーディンは、やがてあることに気づいた。

「……これは、まずいことになったな」

 先に創られていた天――イミルの頭蓋骨は立てたのはいいものの、何の支えもないため不安定で揺らいでいるのだ。これではいつ天が崩壊してもおかしくない。

「兄貴、この小人を使ったらどう? ドヴェルグとか言うらしいんだけどさ」

 アウズフムラの肉からはデックアールヴと同じような小人も生まれていた。最も、ドヴェルグのほうが幾分かましな外見ではあったが。
 どうやらドヴェルグ達はそれなりに力があるらしい。ヴィリはその中でも特に力の強い者を四人選んでいた。
 この四人の小人によって、天は支えられるようになった。彼らはアウストリヴェストリスズリノルズリという名前で、東西南北の方角は彼らにちなんで名づけられた。

「これでひととおり、世界の完成だ。今度は我々の住処を創るとしよう」

 最後に残ったイミルの睫毛で陸地の周囲を囲み、ミッドガルドと呼ばれる地を創った。神々の手により、こうして世界は創造されたのである。

 海の上を、一組の巨人族の夫婦が漂流していた。イミルの死の際に起きた大洪水を逃れた者は、アース神族だけではなかったのだ。彼らが乗っている石臼は、今にも沈んでしまいそうな状態。このままでは二人とも溺れてしまうだろう。

「陸……陸地だ!」

 男のほう――ベルゲルミルが叫ぶ。運良く石臼は陸へと向かっており、二人は助かることが出来た。しかし、その表情は暗く沈んでいる。

「あの餓鬼ども、イミルを殺しやがって、許さねえ!!」

 イミルはベルゲルミルの父親であるスルードゲルミルの父――つまり、彼の祖父だった。自分達の始祖にして祖父を、ボルの子供達は殺したのだ。
 それはアース神族となった元巨人族にとっても同じだったが、彼らにはオーディン達に命を救われた恩がある。
 だが、ベルゲルミルがそんなことを知る由は無いし、知っていたとして何かが変わるわけでもない。おまけに、命からがら辿り着いたのは世界の果てと言ってもいいような、荒涼とした土地。

 ベルゲルミルはボルの子供たちが憎かった。たとえオーディン達の言葉を聞いても、彼の心から神々への憎しみが消えることは決して無いだろう。

 以降、ベルゲルミルと彼の妻を祖とする霜の巨人は二人が辿り着いた地ヨトゥンヘイムに住みつき、アースガルドを滅ぼす機会を虎視眈々と狙うようになる。

 オーディン、ヴィリ、ヴェーは海辺を歩いていた。神の住むアースガルドも完成し、暇ができた彼らは自分たちと同じような姿の、知性のある生き物を創りたかったのだ。三人は足元や波打際を見つめ、何か良い材料はないだろうかと探し続けていた。
 最初にそれを見つけたのはヴェーである。

「あれは……木の切れ端?」

 波間に漂いながら、彼らのほうへ近づいてくるものがあった。オーディンとヴィリが拾い上げたのはニレとトネリコの木の端だった。

「これを使おう。木の生命力は素晴らしいからな」

 イミルの髪によって創られた木はほんの数十本程度だったが、今ではこの海辺にまで広がっている。植物の強い生命力をオーディン達は知っていた。
 早速、彼らは三人で木を削りはじめた。頭、胴体、手足。ニレとトネリコは、オーディンらと同じような形になった。

「俺は命と魂を与えよう。この二人に俺たちと同じ心が宿るように」

 最初にオーディンが言った。

「それなら俺はこいつらが動けるようにして、知恵も与えることにするよ。あちこち動き回って、色々なことを知ることができるようにな」

 次に言うのはヴィリ、そしてヴェーがそれに続いた。

「動くことができたって、ものが見えないと駄目だよ。色んなものが見えるように、そして聞こえるようにしてあげよう」

 こうしてニレとトネリコは新しい生命、人間になり、男のほうはアスク、女のほうはエンブラと名づけられた。二人を祖として、人間たちはミッドガルドに増えていくだろう。

 満足した三人がアースガルドに帰ると、異様なざわめきが聞こえてきた。オーディン達は互いの顔を見合わせて何事かと首をかしげる。最初に彼らの姿を発見したのは、何やら慌てた様子のトール。

「おぉお、オーディン! 向こうに変なもんが……」

 トールの案内でアースガルドの外れにやって来た三人は、急速な早さで生長している木を見た。見る見るうちに根を張り、枝を伸ばし葉を繁らせ、太陽に届かんばかりの大きさになってしまった。アース神は全員呆然となる。

「植物の生命力……まさか、これほどとは」

 文字通り天を貫くようにそびえる大樹を見て、オーディンはそれだけ呟くのがやっとだった。ヴィリも同様に呆けていたが、しばらくすると歓喜に声を震わせて叫んだ。

「すげぇ! この樹はアースガルドの――いや、世界の象徴、まさに世界樹じゃねぇか!」

 両手を広げ、世界樹を称えるようにヴィリは言う。オーディンも納得するように頷いた。
 根は大地深くまで到達し、特に太い三本の根はそれぞれアースガルド、北端に存在する氷に閉ざされたニヴルヘイム、巨人の住むヨトゥンヘイムへとのびている。その途方もない大きさはまさに世界樹と呼ぶにふさわしい。
 神々は世界が創造されたことをもう一度祝った。そこにトールが口を出す。

「なあなあ、あれがまだ残ってるけど、何かに使えねぇかな?」

 トールが指差したのは外界に広がるミッドガルドの一箇所に無造作に積み上げられている長い枝のようなものだ。
 よくよく見るとそれはミッドガルドを囲う際に使用したイミルの睫毛の残りだった。かなりの長さではあるが髪より短い分、太く丈夫である。ヴェーがイミルの睫毛を両腕で抱える。

「これを僕らが住むところの囲いにしようよ。もし敵が攻めてきたら大変だからさ」
「敵って……一体誰が攻めてくるんだよ? ヴェーは心配性だな」

 まあ、ないよりはましかもしれない。そう思い彼らはイミルの睫毛でアースガルドの周囲に城壁を造った。
 オーディン達はヴェーの言葉を一笑に付したが、城壁を造ったのは正解だったといえる。神々は予想だにしていなかったが、後に神々の抹殺を目論む霜の巨人が攻め込んでくるようになるのだから。

 はるか南方、ムスペルヘイム。外界との境には、あらゆるものを焼き尽くす炎の壁がそびえ立っている。
 その国境のもっとも北に面した位置に、一つの影があった。

「…………」

 それはムスペル達の長スルトだった。微動だにせず、北方にそびえる世界樹を見つめている。天を駆ける太陽と月にも、世界樹の誕生を目の当たりにしても、スルトの心は動かなかった。
 彼はただいつか訪れるその時を待ち、ムスペルヘイムの北端に佇んでいた。

 神と人間の地を狙う霜の巨人と、炎の巨人。彼らの存在を、オーディン達は知らない。